久々

久々の投稿です。最後の投稿から2年以上も経っています。とは言いながら、特別、書くことはありません。相も変わらず、曲作りや、3Dグラフィック、ゲーム等をして遊んでいます。

最近、新しくインスタを始めました。とは言え、60過ぎのおじさんの写真を投稿してもしょうが無いので、Daz Studioで作ったグラフィックを投稿しています。曲作りと連携して、歌手の美由紀の写真として載せています。興味がありましたら、一度、見てみてください。

それから、久々に、新しい曲をリリースします。以前、リリースした、”Nothing is Over”をリメイクした物です。遊びとはいえ、曲作り、特にトラッキングやマスタリング等、表現系で多少腕が上がり、以前と比べて大夫、大手の出すCDに仕上がりが近づいてきたので、再度、リリースし直しました。自分では、かなり良くなったと思うのですが、どうでしょうか?こちらも興味がありましたら、PVがありますので、聴いてみてください。

古いPC

PCが古くなった。時間がたてば当然古くなるのだが、PCの進歩は実に早い。あっという間に古くなってしまう。まず、グラフィックボードがだめなようだ。私は、DAZ Studioという3Dグラフィックソフトを使っているのだが、最新のレンダリングを行うと非常に遅い(というか、いくら待っても終わらなくなる)。必要スペックを見ると、だいぶ前から、GeForceで4GBのVRAMが必要となっているようだ(私のカードは2GBしかない)。続いて、ハードディスク。使用領域が70%と成っているし、PCの起動や、少し重めのソフトの起動が大夫遅い。さらに、ご本尊のCPU。第4世代のCORE i5ですでに3世代前、近々第8世代が出ると言うことなので、もうすぐ4世代前となってしまう。さすがに、音楽制作のためのDAWとか、3Dグラフィック、ビデオ編集とかは、厳しい。
とは言っても、PCは時間が経ったことにより性能が落ちるわけでは無い。車などは、長く乗っていれば、エンジンのパワーが下がってきたり、燃費が悪くなってきたり。タイヤなどはすり減って交換が必要になったりする。しかし、PCは基本的にはそのようなことはない。もちろん、長く使っていれば、故障したりはする(特にハードディスクなどは分かりやすい)。しかし、性能が落ちてきたりすることは無い。
PCの場合は、CPUやグラフィックボード等が、次々と高性能な物が出てきて、それに併せて、それに使用されるソフトが、どんどんと高機能化され、あっという間に、古いPCでは、ソフト本来の機能を十分に、発揮できなくなってしまうと言うことだ。つまり、時の進歩に合わせて、性能を向上させていかないといけない。いやはや、いつまで経っても金の掛かる話だ・・・・・。
ふと、我が身に転じるとどうだろう。時の流れとともにチャンと成長してきているだろうか?PCとは違うので、部品を取り替えて性能向上という物では無い。平たく言えば、”学ぶ”ことにより成長すると言うことだ。学生時代は、自発的だったか、一生懸命だったかは別として学校へ通っていたので、取りあえず成長が実感しやすい。しかし、社会人となって働くようになってからはどうだろう?もちろん、新人で、右も左も分からない状態から、3,4年経ってある程度自分で仕事がこなせるようになるまでは、成長していたような気がする。しかし、30歳から40歳の間は?40歳から50歳の間は?50歳から定年までの間は・・・・。
近頃世の中は、若者中心の文化だと言われる。若いことがもてはやされ、今や、”古い”は、”悪い”の代名詞になりつつある。若い人たちが、年上の人を敬うといことが無くなり(敬語が使えなかったり、ため口でしか話せなかったりは、その現れのような・・・)、歳を取ることが、情けないことのようにいわれるようになってきている。しかし、それは、本当に若い人たちの問題だろうか?あるところから高性能化をやらなくなってしまったPCは、時の流れとともに、どんどんと使い物にならないものとなっていく。今の、”大人”と言われる人たちは、不断の成長を怠り、このPCと同じように成ってはいないだろうか?

自動販売機

前回の記事に続いて、最近、タバコが買いづらい。タバコの自動販売機が激減しているからだ。まあ、昨今の禁煙推進状況からすれば、”そんなこと、全然問題では無い。”という人が多いだろう。又、自動販売機などで買わずに店で買えば良いという人もいるだろう。ただ、私は、どうも、コンビニでタバコだけを買うのに抵抗感があり、できれば、自動販売機で買いたいと思ってしまう。
世界でこれほど多くの自動販売機がある国は珍しいそうだ。確かに、町の通りは自動販売機だらけだ。他の国であまり普及しない理由には、治安の問題があるらしい。つまり、自動販売機を設置してもあっという間に壊されて、中身を盗まれてしまうということだ。しかし、さらに、機械への不信感というのもあるらしい。つまり、物を買うなら、チャンと人と人が向き合って買いたいという感情だ。ガタンゴトンと機械から出される物を受け取るのでは無く、チャンと人の手から受け取りたいということなのだろう。
しかし、このような感情は、単一民族で、狭い国土に密集して住んでいる日本人こそ、強く持っていても良さそうに思える。しかし、実際は逆で、人と接することの無い自動販売機が大流行だ。そう言えば、最近、隣の人との間についたてを立てて、お互いが見えないようにしたラーメン屋が流行っているそうだ。周りに煩わされること無く食事ができるのが良いと言うことだ。
”おもてなし日本”といって、日本人は人に優しいと良く言われるが、本当は、あまり他人と関わりたくないと言う一面もあるのでは無いかと思ってしまう。

時代について行けない人

CDが手に入りづらくなっている。周りにCDショップが無い。レンタル店でもCDのコーナーはどんどん縮小している。第一レンタル店が急速に減っている。世の中はダウンロードに、急速に転換しているようだ。私は未だ、ダウンロードで曲を買ったことが無い(ちょっと恥ずかしいが)。
ダウンロードの曲は、明らかに、CDよりもファイルサイズが小さい。私は長い間、家で聴くときは、CDその物、または、CDからリッピングした音楽をそのままコンポで聴き、外出時に、軽くBGMで聴くときには、mp3等ファイルサイズの小さい形式に圧縮して、携帯プレーヤーで聞いてきた。そんな私としては、どうしてもダウンロードしたファイルサイズの小さい曲は、廉価版というイメージ、もっとはっきり言えば”まがい物”というイメージがあって、お金を出して買う気になれない。
そんな思いの人が多いせいなのかは分からないが、最近は、ハイレゾが流行だ。ハイレゾとは、CDよりも高音質な音楽と言うことなのだが、技術的には、可聴帯である20Khz以上を含む曲と言うことだ。つまり、本来、人に聞こえるはずの無い音まで含めた曲と言うことだ。う~ん。人には聞こえないはずの音を含めたからと言って、高音質になるのか?あまり納得がいかない。しかし、評論家さんたちは、確かに違うと言う。感想はそれぞれだが、皆さん、高音質になっていると言う。そこは、凡人である私には良く分からないのだが、少なくとも、家で聴くときでもミニコンポ、外で聴くときは、周りと雑音と混じりながらのiPOD(完全に周りの音を消すと危険だからね)の私には、無用の長物と思われる。
はっきり言ってしまえば、CDから直接落としたファイルと圧縮を掛けたmp3等のファイルでも、私の音楽環境では、音の差を聞き分けることはでき無いのではないかと思う。つまり、客観的に言えば、この環境で音楽を聴く限りではダウンロードの曲でも十分と言うことだ。
理屈ではそうなのだが、そこがイマイチ・・・・割り切れない。
はじめからダウンロードで聞くのが当たり前だった最近の若い人には、こんな悩みは無いのだろう。今や、定額制でストリーミングで聴くのが当たり前になりつつある時に、CDが手に入りづらいことを嘆いているのは、2段階も時代遅れに見えるだろう。こうして、時代について行けない人が生まれる。時代について行けない人とは、決して、新しい状況を理解できない人とは限らない。以前の状況にドップリとつかり、その時の先端を走るあまり、”その環境に愛着がありすぎて捨てきれない。”そんな人も多いのでは無いだろうか?

寒い、寒い

この冬は暖冬と言われてきたが、昨今、ようやく本格的な寒さになってきた。以前、“夏が嫌い”と書いたが、だからといって、冬が好きなわけでは無い。暑いよりは”まし”と言うことだけだ。
人は元来、その時々をそれほど考え抜いて過ごしているわけでは無い。冬になれば、夏に”暑い、暑い”と文句を言っていたことなど思い出しもせず、”寒い、寒い”と文句を言う。誰でも、最初に感じ取るのは、直近の事象だ。半年前のことなど考えを至らせる前に言葉は出てしまうし、自分の意見の一貫性など考える前に、その場で思いついた行動をとる。当たり前のことだし、決して悪いことだとはいえない。しかし、何でもかんでも、その場の衝動で行動していれば、社会生活は成り立たなくなるだろう。それを円滑にしているのが、”しつけ”だと、私は考えている。人とすれ違い際にチョコッとぶつかってしまった時に、即座に、”御免なさい”と言うか”なんだよー!”と言うか何も言わずに通りすぎるか。ぶつかってしまった瞬時には、自分のポリシーとか、生き方とかに考えを巡らす暇は無い。その時、即座に”御免なさい”とか”なんだよー!”とか言わせるのがしつけだと思う。世の中的には、”御免なさい”と言うのが良いしつけ、”なんだよー!”と言うのが悪いしつけ、何も言わずに通り過ぎるのがしつけがされていないということになっているのだろう。別に、ここで、何が良いしつけで何が悪いしつけなのかを議論するつもりは無い。ただ、しつけは、瞬時の、ほとんど考える暇の無い瞬間の行動に、一貫性を持たせるためにあると思う。そしてそれは、人間関係の第一印象に大きな役割を果たしていると思う。初対面の人に、下手に出るのか高圧的に出るのか、フレンドリーに接するのか敵対的に当たるのか。それを、大きく左右する物だと思う。
しつけには、親の影響が大きい。まだ、内面に何も構築されていない子供に、取りあえず、社会生活を円滑に過ごすために、一貫した外面を構築させるのが、親がするのがしつけだと思う。ところが、昨今、あまり叱らない親が多いといわれている。子供と友達のように接する親が多いといわれる。しつけイコール叱ることとはいわないが、内面が確立できていない子供には、ある程度強制することは必要だ。単純で、一貫性のある(例えば、人には迷惑を掛けないとかの)しつけが、取りあえず、回りの社会と円滑に過ごしていくために、必要だ。
小さい頃にしっかりしつけをされなかった子供は、大きくなってからも、瞬時の判断ができない。咄嗟の時に人とのコミュニケーションがとれない。一貫性が無いので、マニュアル通り”いらっしゃいませ、こんにちは”とは言えるが、隣人に”こんにちは”と挨拶できない。そして、ぶつかったときも、黙って通り過ぎることになる。
子供の頃、冬に”寒い、寒い”と言うと、”寒いだの、暑いだの、痛いだのと五月蠅いねぇ”と母に叱られた。取りあえず、寒い外に出たときには、ひょいと肩をすくめて、一呼吸置いてから”今日は涼しいなぁ”と言う癖が付いた。

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