寒い、寒い

この冬は暖冬と言われてきたが、昨今、ようやく本格的な寒さになってきた。以前、“夏が嫌い”と書いたが、だからといって、冬が好きなわけでは無い。暑いよりは”まし”と言うことだけだ。
人は元来、その時々をそれほど考え抜いて過ごしているわけでは無い。冬になれば、夏に”暑い、暑い”と文句を言っていたことなど思い出しもせず、”寒い、寒い”と文句を言う。誰でも、最初に感じ取るのは、直近の事象だ。半年前のことなど考えを至らせる前に言葉は出てしまうし、自分の意見の一貫性など考える前に、その場で思いついた行動をとる。当たり前のことだし、決して悪いことだとはいえない。しかし、何でもかんでも、その場の衝動で行動していれば、社会生活は成り立たなくなるだろう。それを円滑にしているのが、”しつけ”だと、私は考えている。人とすれ違い際にチョコッとぶつかってしまった時に、即座に、”御免なさい”と言うか”なんだよー!”と言うか何も言わずに通りすぎるか。ぶつかってしまった瞬時には、自分のポリシーとか、生き方とかに考えを巡らす暇は無い。その時、即座に”御免なさい”とか”なんだよー!”とか言わせるのがしつけだと思う。世の中的には、”御免なさい”と言うのが良いしつけ、”なんだよー!”と言うのが悪いしつけ、何も言わずに通り過ぎるのがしつけがされていないということになっているのだろう。別に、ここで、何が良いしつけで何が悪いしつけなのかを議論するつもりは無い。ただ、しつけは、瞬時の、ほとんど考える暇の無い瞬間の行動に、一貫性を持たせるためにあると思う。そしてそれは、人間関係の第一印象に大きな役割を果たしていると思う。初対面の人に、下手に出るのか高圧的に出るのか、フレンドリーに接するのか敵対的に当たるのか。それを、大きく左右する物だと思う。
しつけには、親の影響が大きい。まだ、内面に何も構築されていない子供に、取りあえず、社会生活を円滑に過ごすために、一貫した外面を構築させるのが、親がするのがしつけだと思う。ところが、昨今、あまり叱らない親が多いといわれている。子供と友達のように接する親が多いといわれる。しつけイコール叱ることとはいわないが、内面が確立できていない子供には、ある程度強制することは必要だ。単純で、一貫性のある(例えば、人には迷惑を掛けないとかの)しつけが、取りあえず、回りの社会と円滑に過ごしていくために、必要だ。
小さい頃にしっかりしつけをされなかった子供は、大きくなってからも、瞬時の判断ができない。咄嗟の時に人とのコミュニケーションがとれない。一貫性が無いので、マニュアル通り”いらっしゃいませ、こんにちは”とは言えるが、隣人に”こんにちは”と挨拶できない。そして、ぶつかったときも、黙って通り過ぎることになる。
子供の頃、冬に”寒い、寒い”と言うと、”寒いだの、暑いだの、痛いだのと五月蠅いねぇ”と母に叱られた。取りあえず、寒い外に出たときには、ひょいと肩をすくめて、一呼吸置いてから”今日は涼しいなぁ”と言う癖が付いた。

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