シルバーウィーク

シルバーウィークなんて知らなかったが、どうも、毎年あるわけでは無いらしい。次は10年ほど先だとか。今や、連休はあまりありがたくない。道は混むし、色々な施設も人で溢れる。元来、人混みは余り好きでは無いので出かけるのが億劫になる。何しろ、公園でも、山でも海でも、さらに、町中のカフェなんかも、休日となると、平日と比較にならないほど混む。サラリーマンも学生も子供も休みなのだから、当然と言えば当然なのだが。そんな大騒ぎの中、忘れてしまいそうだが、敬老の日が入っている。
敬老の日とは、書いて字のごとく、お年寄りを敬う日だ。法律上では”多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う”日らしい。私たちは、チャンと理解しているだろうか。時々、メディアで、”お年寄りを大切にしましょう”とかいうが、大切にすることが敬うことなのだろうか。昔のドラマで”人間は、してきたことで敬意を表されてはいけないのか。耄碌バーさんも、立派に何人もの子供を育ててきたということで敬意を表されてはいけないのか。”と言うセリフがあった。ちゃんと生きてきた、長い人生を全うしてきたということが、敬意に値するということなのだろう。
大切にするということが本当に、敬うことだろうか。敬うというよりも、気の毒との思いやや、同情に近いのではないだろうか。敬うということは、自分と同等かそれ以上と思うことだ。今や、体力も衰え、頭の回転も遅くなった人を目の当たりにして、敬う気持ちを思い起こすのは結構難しい。ましてや、その人が今まで生きてきたということだけで、敬う気持ちになるのは、かなり難しい。しかし、よく考えれば、人類は、過去に生きてきた多くの人々の人生を、長くつなぎ続けてきたことにより、繁栄してきた。同じドラマで、”その老人は、子供のあんたが転んだ時に、抱き起してくれた人かもしれない。”と言う言葉が、印象的だ。私たちは、今の自分につながる過去というものを、歴史というものをもっと良く理解しなければいけないのかもしれない。
私もそろそろ、敬老の日に大切にされる対象になりつつある。いや、見る人から見れば、とっくの昔の対象なのかもしれない。しかし、未だに私は、若い人に負けず、死ぬ直前までバリバリと活動している自分を夢見てしまう。まだまだ、私も、老いるということが分かっていないのかもしれない。

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